HSP看護師が訪問看護ステーションと緩和ケア病棟で働きながら得た気づき

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最近、「HSP」についてよく聞かれるようになりましたが、HSPについて詳しく知らない方も多いのではないでしょうか?

HSPとは、「生まれつき非常に感受性が強く、敏感な気質を持った人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」の頭文字をとって「HSP」と呼ばれています。米国の心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した心理学的概念です。

ここ数年でHSPという言葉が急速に認知されるようになりましたが、それまでは、

「周囲の人と同じように仕事ができない」

「周囲の人とコミュニケーションがとれない」

「仕事が続かない」

……と悩んでいたことが、HSPによるものかもしれないと分かってくるようにもなりました。

HSPは、一般的に人口の15~20%程度に見られるとされています。特に、看護師の中でもHSPの人が多いという研究結果はありませんが、HSPの人がより敏感に感じることが多いストレスや負荷が、看護師の職務には多く含まれていることが知られています。

HSPという概念は、今まで「働きづらさ」「生きづらさ」で悩んできた方への光にもなりうると考えています。そして、かく言うわたし自身も、長年、働きづらさと生きづらさに悩んできた一人。HSPという概念を知ることで、「自身が感じていた働きづらさや生きづらさは私だけのものではない、同じような状況に悩んでいる人はたくさんいるのだ」と知り、気持ちが楽になりました。

本稿では、HSP看護師のわたしが悩みながら体験したことを、紹介していきます。ぜひ、最後までご覧ください。

まずはHSPについて知ろう!

「わたしがこんなに辛いのはHSPだからかも」

HSPという言葉を聞いて、そんな風に感じた方もおられるでしょう。HSPについて調べる方法には、自己診断テストがあります。自己診断テストはこちらをご参考にして行ってみてください。

エレイン・N・アーロン『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ』をもとに作成

いかがでしたか?

診断テストでHSPではなかったという人も、診断テストの項目のどれか一つだけ強い気質があれば、HSPの可能性があります。この診断テスト以外にもうひとつ、指標になるものがあります。それはHSPの4つの傾向を定義したもので、DOES分類と呼ばれているものです。

それぞれ紹介していきます。 

1.深く思考し、行動に移すまでに時間がかかる(Depth of Processing)

2.周囲からの刺激を過剰に受け、疲れやすい(Overstimulation)

3.全体的に感情の反応が強く、共感力が強い(Emotional response and empathy)

4.些細な刺激を察知する(Sensitivity to Subtleties)

以上の4つの傾向があります。この4つすべてあてはまる場合にHSPと定義されます。

このように、HSPとは、些細なことに敏感であり、感受性が高い人のことを指します。細かいところによく気がつき、感じる力が強いがゆえに、集団では力が発揮しにくい場合が多いのです。しかし、これらの特性は、ただ単にネガティブなことばかりではありません。うまく活用できれば〈強み〉に変えることができる特性でもあるのです。

ここからは、わたし自身がHSP看護師として経験してきたこと、悩んだこと、気づいたことをご紹介しましょう。HSPだからこそできること、活かせることがたくさんあります。自分らしい働き方を見つけるヒントにしていただけたらと思います。

看護師人生、山あり谷あり

「みんなできていることができない」

「うまくコミュニケーションがとれない」

「仕事が遅くて、残業ばかり」

これは、すべて私が看護師として働くなかでいつも抱いていた悩みです。

同期の仲間は当たり前のようにできているのに、自分だけうまく会話のキャッチボールができない。先輩たちのように素早く仕事ができない……。

もともとコミュニケーションに苦手意識があったなかで、死に直面している患者さんにどのように声掛けしたらよいか悩んだり、患者さんのイライラした気持ちを受け止められずに辛くなり、さらにコミュニケーションをとることができなくなりました。

最初は小さな悩みでした。しかし、年数を重ねるたびに看護師として求められる水準も高くなり、周囲に着いていけないわたしはやがて心のバランスを崩してしまいました。看護師3年目。わたしは、「できない自分が悪い」と信じこみ、自分自身を責める日々を過ごしていました。

そんな辛い看護師人生の始まりでしたが、後からふり返ると、「看護師になって良かった」と心から思える瞬間がたくさんありました。

患者さんからの「ありがとう」という言葉。

笑顔で退院していく患者さんの姿。

患者さんが元気に会話している姿。

ただ、当時のわたしは自分のことしか見えていませんでした。このようなステキな瞬間が「今」目の前で起こっていることを見過ごしていたのです。それでも今なお、わたしの心の中にこうしたシーンが残り続けているのは、わたしにとって「看護師人生の原点」とでも言うべき大切な瞬間だったからだと思っています。そして、このように思えるようになったのは、看護師をいったん辞め、臨床の現場から離れたあとにHSPという言葉と出会ってからでした。

わたしが看護師人生でぶつかった壁は、自分の人生を考えるような大きなことでした。自分と向き合うなかで、どうしても自分を責めることしかできなかったわたしにとって、HSPという概念は救いでした。HSPは、ストレスや刺激に過敏な一方で、繊細な感受性を持つため、自分や他人の感情やニーズに敏感に気づくことができるという「強み」にもなる……。私が感じていた違和感は、HSPという特性によるものであることがわかっただけでも、とても心が軽くなったのを今でも覚えています。そして、その特性は生まれつきのものであり、変えるものでも、変えるべきものでもないことを知りました。ようやく、自分で自分を責めなくてもよいことに穏やかな気持ちになりました。

もちろん、長年の苦しみはすぐに解決できるわけではありません。ただ、HSPということを知ることで、HSPだからこその強みに目を向けられるようになり、視点を変えることで、凝り固まった思考を変えられるようにもなりました。そして、今まで自分の欠点だとばかり思ってきたことを、違った角度から見れるようになったのです。

これは、看護師として働いていくうえでも大切なことです。HSPを知ったことで、自分自身を知るだけでなく、看護の視点も学ぶことができました。

HSPとの出会いは、長く暗いトンネルの中をさまよっていた私の心に一筋の光を与えてくれました。そこから、HSPとともに歩む、わたしの第2の看護師人生がスタートしました。

看護師を選んだことに後悔をしたこともありましたが、辛い経験も嬉しい経験も、自分自身の人生のなかになくてはならないものだったと、今は確信しています。

では、ここからは、わたしの第2の看護師人生のエピソードを紹介していきます。

「繊細さ」を強みに〜訪問看護・緩和ケア病棟で気づいたこと〜

じっくりと利用者さんと関わりあえる訪問看護

今から12年前。「もう一度、看護師として働いてみよう!」と思い、以前から興味があった訪問看護の扉をたたきました。新人時代に働いていた職場で、在宅に移行された患者さんも少なくありませんでしたが、退院後の患者さんの様子がわからず、どのような療養生活を送っているかを知りたかったことも背景にありました。

ところで皆さんは訪問看護といえば、どのようなイメージをもっていますか?

私は、「一人で判断してケアをしなければならない」「知識と技術をもったベテラン看護師がするもの」というイメージを持っていたので不安がありました。しかし、そんなわたしを温かく受け入れてくれる職場に出会い、少しずつ、少しずつ、知識と技術を学んでいきました。

最初は、ベテランスタッフと一緒の同行訪問から始まりましたが、やがて一人で訪問するようになり、判断に悩むこともありました。自分の技術では解決できないこともありました。しかし、一見、個人で仕事をしているように見える訪問看護も、チームで動いています。

わからないときは、電話で相談したり、自分だけでは解決できなければ、応援に来てくれることもありました。自分だけで解決しなくても大丈夫と思えたことは、わたしにとって大きな安心感がありました。

想像だけではわからないことがたくさんありました。

利用者様やそのご家族様とのかかわりも、ひとつひとつが大切な出会いであり、自身の経験へとつながりました。訪問看護は1対1でのかかわりです。それは、やりがいでもあり、自身の知識と技術、経験が大きく評価される世界でもあります。もちろん病院もサービス業ではありますが、訪問看護はよりその要素が色濃くあらわれるように思います。なぜなら、1時間のケアに対しての金額がシビアにわかる世界だからです。1時間のケアに大きな意味を感じました。これは、病院で働いている時には十分に感じられなかったことです。

このようなことを考えると、少々しんどくなることもありますが、逆に考えると、わたしたちがケアしたことに対して、ダイレクトに反応を感じられるということです。1対1のケアの時間は、真剣勝負の時間でもあります。利用者様やご家族様と、ゆっくり向き合える時間でもあります。

そして相談される内容は医療的なことばかりではなく、生活面についての相談も多いのです。24時間365日、自宅で頑張って生活している利用者様とその生活を支えておられるご家族様は、不安な日々を過ごされているからです。

相談に乗るうちに、逆に利用者様やご家族様からステキなアイデア(浸出液が漏れて困っていた腹部の創部に対し、処置パッドのかわりに、出産後に使う赤ちゃん用の母乳パッドが絶妙なサイズとフィット感で、その後漏れることもほとんどなくなったこと等)が飛び出てきたり、人生についての深いお話を聞かせてもらい、元気をいただくこともあります。子どものころの戦時中の話、夫に先立たれ女手ひとつで育児と仕事をしてきたこと、さまざまな出会いと別れは、どれも意味のあるものであり、人は一人では生きていけずに、たくさんの支えがあってこそ、今自分がここにいること……。

もちろん、いいことばかりではありません。病院のように、すぐ近くに助けてくれる人はいません。ときには、利用者様やご家族様から、辛い思いやどうしようもない怒りをぶつけられることもあります。また、仕事以外の頼まれごとをされることもあり、胸を痛めながらもお断りしなければならないこともありました。それでも、訪問看護は病院では見えなかった、療養者の方の生活を見られるステキな仕事だと感じています。

病院のあわただしいスピードについていけなかったわたしが、わたしらしく働くことができた場所でした。

緩和ケア病棟でのたくさんの出会いと経験

訪問看護で働いていたわたしですが、訪問看護での看取りの経験などを経て、緩和ケアに興味がわき、勉強会などに参加していたときに、緩和ケア病棟での仕事のお誘いがありました。

わたしにとっては、大きなチャンスでした。ただ、病棟勤務はもうできない、夜勤なんて無理と思っていたので、自分にできるか不安でいっぱいでした。このとき、わたしは、もう無理はしたくないと思っていたので、自分のできることとできないことをしっかり伝えるようにしました。これは、HSPという言葉を知り、自分の特性について知れたからこそ、伝えられたことだと思っています。以前のわたしは、せっかくのチャンスを逃したくないとの思いが先行して、なんでもできますと言っていたはずです。

こうして、わたしは、「パート勤務の夜勤なし」というありがたい条件で緩和ケア病棟で働くことができました。今、思えばわがままな希望だったと感じています。もちろん、そのような制約のなかで、わたし自身ができることを精一杯頑張ることを心がけました。

緩和ケア病棟では、常に「死」が隣り合わせの世界でした。患者様もご家族様も覚悟をもって入院されてきます。もちろん、そのような覚悟をもって入院しても心は常に揺れるものです。淡々と話しているように見えても、実は不安いっぱいだったという方もいれば、どうしようもなく不安でいっぱいだった方が、とても穏やかな最期を迎えられることもあります。ご家族様に見守られ方もおられば、ひとりで最期を迎えられる方や知人の方に看取られる方もおられます。

生き方が多様であるように、最期の迎え方も多様です。まさに、その方の最期はその方の人生そのものであるように感じます。

どんな最期が良いか? 

それは、他人が決められるものではありません。患者様お一人お一人が、それぞれにさまざまなかたちで人生を振り返り、最期を迎えられるように思います。

そして、緩和ケア病棟は看取りの場であり、暗く寂しいイメージがあるかもしれませんが、そこには、生きたい、生きようとする大きなパワーを感じる場所なのです。そして、多くの患者様からそのパワーをたくさんいただきました。

今でも思い出すのは、コロナ禍で面会ができず、疾患により話すこともできないため電話もできなかった患者さんが、痛みでペンをとるのも難しい状況のなか、手を震わせながら家族の方に手紙を書いておられる姿。家族のために今伝えられることを全力で伝え、生きる力に変えている姿をみて、「生きたい」というパワーを感じました。手紙が書けなくなるまで、患者と家族の手紙でのやりとりは続きました。

緩和ケア病棟で働き、患者様とそのご家族様にとって大切な瞬間に立ち会わせていただき、人の温かさや命のありがたさ、今の生活への感謝の気持ちを考えることができました。

「今」を見ることができなかったわたしが、「今」を見て、自分らしい人生を歩みたいと思えるようになったのは、緩和ケア病棟でのたくさんの出会いと経験からでした。それぞれの出会いは偶然でなく、必然。緩和ケアでの出会い、仲間との出会い、患者様、ご家族様との出会いすべてが、必然のなかで出会い、あらたな一歩を踏み出す勇気に変えてくれました。

人生の大切な瞬間について

職場から見えた虹

長い看護師人生、辛いことや苦しいこともたくさんありました。一度は看護師という仕事自体を辞めたこともありましたが、それでも続けてきたのは、辛いことも悲しいことも、楽しいことも、うれしいことも、すべてが自分の成長の種だったからです。

辛さや苦しみがあったからこそ、向き合えたものがあり、感じられたものがありました。楽しいことやうれしいことは、看護へのやりがいにつながりました。

わたしの人生の半分が看護師としての人生です。看護師をしていなければ、出会えなかった人や、立ち会えなかった場面がたくさんあります。ときには、辛くて、くやしくて涙することも、うれしくて笑いあうことも、意見の対立に戦うこともあります。

看護師になったことを後悔したこともありました。いいことばかりではありませんでした。それでも、いまのわたしがあるのは、このすべての出会いと経験があったからこそです。すべての出会いと経験が、わたしにとっては大切な瞬間でした。

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以上がHSP看護師として歩んできた、わたしのエピソード。

HSPを知り、自分の看護師として働くフィールドについて考えた結果、一人一人の患者様にじっくり向き合える職場が自分には向いていることがわかりました。HSPという特性を活かして、患者様やご家族様の心の変化や反応を大切にしてきました。

もちろん、苦手な仕事もあります。苦手な部分はある程度の努力は必要ですが、頑張りすぎてもしんどくなるだけです。看護はチームで行う仕事ですから、苦手な部分はカバーしてもらうのもひとつだと考えます。

もしかすると、自分の得意な分野は、誰かの苦手な分野かもしれません。少数派のHSPの得意な分野はもしかすると、他の人が苦手なことかもしれません。HSPを知り、自分を知ることで、自分らしい看護ができるはずです。今、しんどく感じている方も、ゆっくり考えてみると、見えてくるものがあるかもしれません。

いつか、あなたらしい仕事ができる、ステキな職場に出会えますように。