新人看護師は3年急性期病棟で働くべきって本当? 新卒で入った急性期病院を辞めて思うこと。

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新人看護師のわたしは新卒で入った急性期病棟を1年半で辞めた

タイトルの通り新人看護師のわたしは新卒で入った急性期病棟を1年半で辞めてしまった。身も心もボロボロになり限界になってしまったのです。

退職したい旨を伝えた時には、「たった1年半で急性期病棟を辞めるなんてあり得ない」「新卒はまず同じ病院で3年働かないと」「あなたはこれからダメになる」という呪いのような言葉も言われてしまいました。

それを聞いて、わたしも「わたしはなんてダメなんだろう」、「みんなが当たり前にできていることをできないわたしはきっと次のところでもまた失敗する」とネガティブ思考の渦のなかに巻き込まれてしまったのです。

自分に自信が持てなくなって、常に動悸がし、眠れない日々を過ごす。こんなこと、人生で初めてでした。

だけど、今、回復期リハビリテーション病棟に転職しなんとか働いています。周りの看護師が言っていた「あなたはこれからダメになる」という呪いの言葉は、現実にはなりませんでした。

今回は、「新人看護師は3年間、急性期病棟で働かなければならない」という呪縛に囚われ苦しんでいる看護師に向けて、急性期病棟を1年半で辞めて転職したわたしが「急性期病棟に3年働かなくてもどうにかなったよ」という話をしていこうと思います。

わたしが新人看護師として期待を胸に入職した病棟はいわゆる「ブラック病棟」と呼ばれるような職場でした。特にわたしが、病棟で働きながらブラックだ、辛いと感じたのは以下の3点。

  • 毎日2〜3時間の残業が常態化。しかも新人看護師には残業代は出ない。
  • ナースコールは新人が出るものという不文律。
  • 休日は病棟会と研修と課題をこなすだけで終了。

上記は、急性期病棟で働く多くの看護師が最初に陥る状況なのではないかと思いますが、わたしは親戚や家族に看護師がいなかったため上記のような状態が常態化しているのを知らず衝撃を受けました。とても辛かった。

ここから、詳しく話していきます。

「看護師は3年は急性期病棟で働かなければならない」

毎日2〜3時間の残業が常態化している病棟勤務

わたしが病棟で働きながら辛いと感じたポイントの1つ目は、毎日2〜3時間の残業が当たり前だったこと。

わたしが勤務していた脳外科病棟は、脳梗塞やクモ膜下出血などで半身麻痺や認知機能の低下が起こり日常生活に介助が必要な人が多く通常の業務に平行して日常生活援助を行う必要がありました。

また、それにプラスして緊急入院、急変、点滴自己抜去、転倒・転落など不測の状態が起こることも多く結果として、毎日全員が残業を2〜3時間している現状でした。

看護師は、命の責任を背負う過酷な仕事。日勤を8時間こなすだけでも大変です。

それなのに、日勤勤務8時間にプラスして2〜3時間、トータル10時間超えの勤務を行うのはとても辛い。もっと辛かったのは「新人は仕事ができないのだから残業代を申請してはならない」という暗黙の了解があり、残業代を申請できなかったことです

患者さんのためを思って看護計画を立案したり清潔ケアを行ったり、命の危機がある人を緊急入院で受け入れたり……。そんな風に患者さんのことを思って行う看護行為だが、定時を過ぎると無給になる。

いくら頑張って働いても残業代がもらえないのは自分の努力を評価してもらえないようで悔しく、悲しい。

「ナースコールは新人が出なければならない」という不文律

病棟で2番目に辛かったのはナースコールは新人が出るものという風潮でした。

わたしが、勤務していた病棟ではどんなに忙しくてもナースコールが鳴ったら即座に新人看護師がナースコールを出なければならないという「不文律」があり、それを破ると病棟で噂の的にされ強く叱責されることも。

もちろん、「新人は、先輩看護師に比べてできる仕事が少ないのだからナースコールぐらい出てくれ」という考えがあるのは分かります。

しかし、新人も担当患者を受け持つようになると手術出し、検査出し、バイタルサイン測定と多忙になりナースコールに出れないほど忙しいときもあるのです。

それなのに、ただ新人というだけでどんなに忙しくてもナースコールが鳴ったらすぐさま対応をしなければいけないという風潮は元々忙しい業務をより多忙にし過酷にする辛いものでした。

休日は病棟会、研修、課題をやって終了

3番目に辛かったのは、休日の病棟会と研修と課題です。

病棟会と研修、課題は自主参加という形を取っていましたが、実際にはほぼ強制参加という状況で新人看護師はみな無給で休日の病棟会や研修に参加していました。

また、わたしの勤務していた病棟では、Web上で動画を見てテストを受けるというタイプの課題が大量に出され、休みの日はその課題をこなすだけで終わる日も。

看護師は、命の責任を背負う仕事です。そのため、「知識がほとんど無い新人看護師は勉強をするべきだ」という考えがあるのはもちろん理解できます。

看護師にとって勉強は必要なものです。そこに異論はありません。

しかし、出勤の日は業務で忙しく、休日は病棟会と研修と課題で終わる日々は楽しいとは言えず、自分のすべてが仕事に支配されている感覚になり、「なんのために生きているのだろう」と思うほど苦しいものでした。

インスタやTwitterで別の仕事についた友達が、おしゃれなカフェやインスタ映えスポットで写真を撮っているのを見るたびに「自分はなんでこんなことばかりしているのだろう?」、「看護師だけで人生が終わるのだろうか?」と突然虚無感に襲われることもありました。

期待を胸に入った病棟で、残業を繰り返し休日も働く日々にわたしは疲弊し看護師として働くのに限界を感じ始めました。しかし、「看護師は3年は急性期病棟で働かなければならない」そんな呪いの言葉を信じ、日々どんなに苦しくても出勤し続けていました。

当時、わたしは「3年働いたら看護師は辞められる。だから3年目まで頑張ろう」そんなことばかり考えていたのです。

担当患者さんの状態悪化、インシデントでメンタル崩壊

先に紹介した呪いの言葉を信じて「とりあえず3年」を目標に頑張っていたわたしですが、看護師2年目になってさらに追い詰められるような出来事がありました。

1つ目が担当患者さんの状態悪化。

2つ目はインシデント。

この2つです。

患者さんの異常を発見することができず状態悪化

わたしが猛烈に看護師を辞めたくなったのは、自分の観察不足で患者さんの異常を発見することができず担当患者さんが状態悪化してしまったときでした。

看護師2年目の明け方夜勤中、急ぎながらバイタルサイン測定を行い食事や口腔ケアの介助などの夜勤業務が終わり記録のためパソコンに向かっていると、「あなたの担当の〇〇さんが急変している、夜勤中本当にちゃんと観察した?」と注意を受けました。

わたしは、その日、忙しさに追い詰められ、バイタルサイン測定をかなり急いで行った自覚があったので先輩の「ちゃんと観察した?」に自信を持って「はい」と答えることができず自分のせいで患者さんの異常の発見が遅れたことに心がしめつけられるような苦しみを覚えました。

そして、自分の行動1つ1つが患者さんの生死を分けることになる看護師という仕事がものすごく怖くなりました。

多くの仕事はミスをしても謝ったり、お金を払うことで解決します。しかし、看護師の仕事は人の命に関わります。それを身に染みて感じ、急性期の病院で働くこと、看護師として働くことが怖くなってしまったのです。

点滴の投与忘れ、血糖測定忘れなど多くのインシデントを起こす

わたしが2番目に強く看護師を辞めたくなったのはインシデントです。看護師2年目となったわたしは、先輩の目が離れたこともあってか、1年目にはしなかったようなミスが増えてしまったのです。

同じ時期に点滴の投与忘れ、転倒・転落、点滴の自己抜去、ドレーンの自己抜去、血糖測定忘れなど多くのインシデントを起こし、看護師を続けていくのに恐怖心を感じました。

インシデントは、医療安全的な観点から言えば、医療ミスを共有し同じミスを犯さないためのもの。しかし、実際の看護現場では.個人の責任を追及する場となっていることも少なくありません。

わたしの病棟も例外に漏れずインシデントは個人の責任を追及する懲罰のような側面が強く、インシデントを起こしたわたしは多くの看護師に責められました。患者さんに危害を与えてしまった自分に対し怒り、絶望し眠れない日々が続きました。

眠れなくなり、ご飯が食べれなくなり、体が動かなくなる

残業、研修、命の責任、インシデントで毎日絶望しながらも「3年は急性期病棟で働かなければならない」という呪縛に囚われていたわたしは辛い体を引きずりながら病院に通勤しました。

ある日出勤すると自分のロッカーにメモが貼られていました。

「なんだろう?」と疑問に思いつつメモを開くと、3個上の先輩から大量の「抜け」の指摘と「患者さんへの看護の仕方を直すように」、「先輩への態度を改めるように」といった文章が書かれていました。

わたしはそのメモを見て、頑張ってナースコールを取ったり先輩に丁寧に挨拶したり、感謝を述べたりしていたつもりだけど先輩にはこんな風に思われていたんだ、自分にはこんなに抜けがあったんだと思い、もはや辛さに向き合う気力も失ってしまいました。

今まで「看護師は3年急性期病棟で働かなければならない」という呪縛がそんな自分の「看護師辞めたい」という気持ちのストッパーになっていたけれど、インシデントや残業の疲労に重ねて先輩からのこのメモを受け「わたしには、もう看護師は無理だ。」と痛感することになりました。

「もう無理だ。」と思うや否や、病棟で情報収集しようとパソコンを開いても情報が頭に入ってこなくなり、頭がぼーっとしはじめ、自分への絶望と疲労で急に胸が苦しくなりました。このままでは、仕事でまたインシデントを起こしてしまうと思い、こんなことあまりよくないかもしれないけど「体調が悪くなった」と噓を伝え、病棟を早退することになりました。

帰宅後、寝ようとしても寝れず、ご飯も食べられず大好きなYouTubeも見れず、自分が精神的に参っているのを感じました。自分の「限界」に気づき、このままでは、患者さんに安全な看護ができないと思ったのです。

そして、その翌日、師長をつかまえて「精神的にも肉体的にも限界のため退職したい」意向を伝えました。伝えると思いのほか簡単に1ヶ月後の退職が決まりました。わたしは相変わらず「急性期で3年は働くべき」という呪縛に囚われたままの状態で不甲斐ない自分を責めていましたが、もう肉体的にも精神的にも限界だったのでどうしようもありませんでした。

自分を縛る言葉の呪縛の外に出よう

「急性期病棟に3年勤務しなければならない」強くそんな呪縛に囚われてしまっていたわたしが、突然限界が来て突然看護師を辞めてしまった。

辞めた当初は、ずっと「やばい」「どうしよう」「詰んだ」とネガティブな感情に支配され苦しくなったが1ヶ月ほど好きなだけ寝て、映画やマンガを楽しむ生活を送っていると心も体もだんだん元気になってきました。

少しだけ生気を取りもどしたわたしは無職2ヶ月目から就職(転職)活動を始めました。辞めたあとも相変わらずわたしは「看護師は急性期病棟を3年は勤めるべきである」という呪縛に囚われていたのですが、転職活動を始めて1ヶ月たった頃に希望していた回復期リハビリテーション病棟から内定があっさり出ました。

と同時に、私は自分が呪縛に囚われていたことに気づきました。今まで読んでいただいた文章からもお分かりのように、わたしは自己肯定感が低く、一見もっともらしく聞こえる言葉を真に受け過ぎてしまっていたのです。

それから……今。

回復期リハビリテーション病棟に転職して6ヶ月がたちました。

急性期病棟であれだけミスや命の責任に苦しみ人生に絶望していたわたしだがなんとか人生に絶望せず毎日笑顔とは言わずとも病まずに働くことができています。

車椅子でしか移動できなかった患者さんが杖歩行になって移動できるようになったり、言葉が全くでなかった失語症の患者さんがクローズドクエスチョンで会話できるようになったり。そんな回復していく様子を見て看護師って良い仕事だなあと感じることができています。

これを読んでいただいている看護師さんの中には、「自分は急性期病棟向いていない」と思い、日々眠れない、食べれない状況の中でも「新人看護師は急性で3年働くべきだから」と辛い体に鞭を打ち働いている方もいるのではないかと思います。

大丈夫ですよ。「新卒はまず同じ病院で3年働かないと」なんてうそ。人には向き・不向きがある。看護師を何年続けるべきなんて決まりはない。あのまま不向きな職場で働き続けていたら、わたしは取り返しのつかないほど心のバランスを崩していたでしょう。

それに、看護師は急性期病棟だけが働く場じゃない。回復期リハビリに老人保健施設、クリニック、保育園、働く場はたくさんあるのです。辛くて苦しむより、体と心、そして自分を大切に出来る場所を見つけることが大事だとあらためて思う日々です